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March 27, 2011

目先の正しさに執着しない事 英会話教師から英会話以外に学んでしまった事

目先の主張、自分の正しさに執着する余り問題が解決せずに心身を病んでしまうという事(人)があるように思える。
問題が自分の主張通りに解決せずに、その事ばかり考え眠れぬ夜を過ごし、病んでしまう。
確かに理屈では自分が正しいかもしれないが、心身を病ませてまでそれを主張し続ける事が果たして自分の為になるのだろうか?
90年代J-POP的「逃げない事地獄」に陥ってないだろうか?
大局的に見て自分に取ってプラスかマイナスかという話である。

私の職場には米国人英会話教師が英会話を教えにきているのだが、彼から図らずも英語以外の、自分に取っては非常に貴重な事を学んでしまった。

その日彼は何故か傷だらけで、理由を聞くと前日(別の派遣先へ)自転車で通勤中に車にはねられたとの事。
傷からもわかるが、それなりに飛ばされたらしい。
しかし彼は授業の時間が迫ってるし、自転車(そんなに)壊れてないし、自分平気(?)だしという事で救急車はおろか警察ひいては相手の連絡先も確認せずにその場を立ち去ったらしい。

普通はちょっとでも車が当たろうものなら一大事である。
確かに外国人であるが故の面倒もある程度働いているとは思うが。

別に本人は悔しいとか、憎いとか無く、ただ寝るとき痛いのが困る程度でしか無かった。

さて、自分だったらどうだろうかと思ったときに、自分が原付で信号待ちの時に車に追突された時の事を思い出した。
怪我はたいした事無かったが、後日現場検証を予約し人身事故に切り替え、バイクは割れた泥よけを交換のためバイク屋に出し、加害者は任意無保険(!)で、しかも能無しオッサンだったのでセルフで自賠責請求の手続きを行った。
病院に行って診断書を請求したが、発行までに1ヶ月以上掛かり催促したり。
正直全てが大変だった。
でも、そのときは事故にあったら取れるだけ取るのが勝ちみたいな固定観念があった。
できる事をしないなんて損!みたいな。
権利は全て得るべし、悪いのは相手で加害者にはなんとしても社会的責任を取らせるべし!みたいな。
でも、終わってみると別に得なんてしていない(当たり前だが)どころか労力分消耗しただけだったと思った。

目先の事に執着してるような、何だか卑しい感じ。

あのとき、「別にいいよ」とその場で済ませられたら、済ませられる思考を持っていたら、きっともの凄く楽だったし、大きい意味ではプラスだったのではないかと思う。
でも、やはり取るものは取るみたいな気持ちは抜けていなかった。

今回、彼の話を聞いて衝撃と共にようやく自分の中でリセットする事ができた。

何も交通事故だけではない、日々おこる一見不利益な事に対して今まで意識してなるべく寛容にと過ごしてきたつもりだが、ちょっとやせ我慢気味な部分があった。
しかし、これを機により本質的に寛容になれるようになった。
こだわり、引っかかる部分が減った。

おかげで生活が今までより更に良いものに感じられる。
心が軽い。

因に、自分に対しても寛容になった。
言いたい事、感情など、特に家族には余り押さえ飲み込まずに比較的そのまま出るようになった。
発生した瞬間に必要なだけ出し、その瞬間で終わらせる。
不安などは不安だなと思うだけで、それ以上拘って不安を育てないとかね。

心身を病んでしまっている方が、この執着しない考え方を受け入れる事が出来れば随分楽になるのではないかと思う。
とは言え、それがすんなり出来ないからこその難しさなのだろう。

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